COLUMN

Adobe × TIS  Trend & Illustrations

2020.06.05

Trend & Illustrations #3/出口えりが描く「Express Yourself」

アドビが予測する2020年のビジュアルトレンドをテーマに、東京イラストレーターズ・ソサエティ会員のイラストレーターが描きおろした作品のコンセプトやプロセスについてインタビューする連載企画。第3回目のテーマは「Express Yourself」。観る人の心揺さぶる表情を描く出口さんにお話を伺います。

 

プロフィール

 
1991年奈良県生まれ。洋画家・生島浩氏に師事。
大阪大学文学部人文学科卒業。桑沢デザイン研究所卒業。
2018年 東京イラストレーターズ・ソサエティ 第16回「TIS公募」入選
2019年 玄光社『イラストレーション』第212回「ザ・チョイス」入選(丹地陽子氏選)
2020年 玄光社『イラストレーション』第37回「ザ・チョイス」年度賞大賞

https://www.deguchieri.com
https://tis-home.com/eri-deguchi

 

ビジュアルトレンドについて

──今、どのようなテーマのビジュアルが求められているか、ストックフォトサービス「Adobe Stock」でのキーワード調査などを参考に、アドビが予測した2020年のビジュアルトレンドの1つが「Express Yourself」です。

SNSで自分の幸せで楽しい面だけを見せるだけではなくて、不完全さを認めて人が本来持つ怒りや悲しみといった側面も示すことで本来の自分を捉えてもらう、といった内容でしたよね。

──「デジタル疲れ」といった言葉も使われる昨今、ソーシャルメディアではまわりに評価されて承認欲求を満たすベースの部分がポジティブな感情に偏る傾向があるといわれています。ネガティブな側面も見せることで、フォローするオーディエンスに感情を伝えたり、共感を得ることが出来る。そうしたリアルなコミュニケーションに対するニーズの高まりを表したテーマです。描いてみていかがでしたか?

Adobe Stockに登録して、どんな用途に使われるか分からないという点では多少の不安はありましたが、政治や宗教には利用されないとアドビの方から説明を受けたので安心しました。海外の方々も含めて作品を広く知ってもらえるきっかけになるかと思ってトライしました。

──不安などの感情が渦巻くこのコロナ禍において、よりクリエイティブの力が必要とされているのではないでしょうか。さっそく今回描かれた作品についてお話を聞かせてください。

手助けとなるか分かりませんが、観る人の心が少しでも救われたらうれしいです。油絵での制作の流れについてもお話出来ればと思います。

「今日はダメな日」2020年

「今日はダメな日」2020年

幸せな物語だけじゃない

──「Express Yourself」というテーマを選んだ理由を教えてください。

アドビの方からいくつかテーマの説明を受けるなかで、特に内容に納得するものがありました。それと、普段から人物の表情を大切に描いているので、表現しやすいのではないかと思って。もっとひねったものを描くべきかとあれこれ考えましたが、割とストレートに描きましたね。

──上下2枚の組み合わせにしたのはなぜですか?

絵を描くときは、まず“動画”でイメージが浮かびます。人物であれば、感情が伝わる動きのようなもの。今回は2枚の構成で表現出来ればと考えました。

この絵のモデルは、自分自身。普段、会社に勤めながらイラストレーターとして活動しているのですが、よく会社で怒られてはへこんで家に帰り、床に寝そべってふてくされています。仕事で疲れて帰ってきたときにイライラしたり、悲しい気持ちになったり。会社に勤めている人は同じような経験をしてるんじゃないかなと思って描きました。

──「Express Yourself」というテーマには、ネガティブな側面も含めて他者に見せて、等身大の自分を理解してもらうことが強さにつながる、といった内容が含まれています。ご自身にそういった経験はありますか?

大学時代、精神的につらい時期がありました。でもまわりを信頼して悩みを打ち明けることがなかなか出来なくて。どうにか友人の1人だけには伝えられて、弱った自分自身を受け入れてもらえたときにとても救われました。やってみないことには誰にも受け入れられないし、感情を自分のなかに閉じこめているだけでは変わらないものもあるのかな、と感じた経験です。

──テーマをどのように解釈して、作品に落としこんでいきましたか?

ネガティブな側面を見せるというのは、自分の力だけではむずかしいときもあります。私自身、コミュニケーションとして話すのがあまり上手ではありませんが、「自分の絵について説明してください」と言われると話しやすかったり、絵がそばにあると勇気づけられます。

映画や小説でも、失恋がテーマの作品があったりしますよね。作品を観て「これは私自身だ」とか「私の気持ちが分かる人がいるんだ」と思うと、心が救われます。私たちの毎日もそうですが、ハッピーな物語だけじゃない。だからこそ、描く意味があるというか。イラストレーションでもきちんとそれが出来ればいいなと思いました。

──描かれた色彩は表現したい感情を表していますか?

そうですね、怒った感じが少しほしかったので赤色を使いました。あと、悲しくて涙がこぼれるときって頬が赤く染まったりします。そんな表情が描きたくて色を選びました。

人の顔を描くとき、悲しいときに涙を流しているとか、記号的な表現にならないように気をつけています。生っぽい表情とか、少し心がざわっとする表情になるまで描く。人の気持ちが動くような絵を描きたいです。私は自分のために描くことはなくて、やはり観る人のために描いています。
 

「無題」2020年

「無題」2020年

 

日常にひそむ、始まりの予感

──作品を描くうえで大切にしていることはありますか?

実際に存在する光景のなかで“不思議さ”を強調して描くこと、でしょうか。絶対ありえない状況を描くのはカッコよくないと思っていて、あくまでも日常を描くことが多いです。小説だったり、やはり物語のあるものが好きなので、お話が始まるような予感を絵に含ませていますね。

──鏡やガラスに映る人物など、歪んだ景色を描いた作品もいくつかありますね。

学生時代に「ガラスとか金属とか、光り物を描くのがうまいな」と先生からほめられたことがありました。単純にそういったものに興味があるし、人物をそのまま描くのではなくて、ミラーやガラスに映っているシーンを描くほうがストーリー性や奥ゆかしさが感じられるかと思って。反射するものはモチーフとしてよく使います。

──今まで描いた作品のなかで思い出深いものはありますか?

篠田節子さんの小説『恋愛未満』の装画でしょうか。ダンスしている男女の部分が自分のなかではお気に入りです。「人物の顔は描かないてほしい」とお願いされましたが、描いた人々の困っている様子や楽しそうな雰囲気を身体の動きで表現出来たんじゃないかなと思います。
 

『恋愛未満』

『恋愛未満』 篠田節子 著(光文社)2020年
書籍表紙原画


装幀家である鈴木成一さんの装画塾に何年も通っていて、そこで鈴木さんが「いい絵には風が吹いている」という表現を使っていました。言い換えれば、“抜け”がいいということかもしれません。この本の装画では、「そよ風が吹いているようないい絵が描けた!」という手応えが強かったので思い出の作品です。装画では、物語全体や文体から受ける印象を絵からも伝えられたらと意識して描いています。
 

文庫版『逃げる』

文庫版『逃げる』 永井するみ 著(光文社)2020年
書籍表紙原画

 

 

油絵での制作について

──制作の流れを教えてください。

制作のための資料は、自分がモデルになるか、家族にお願いして撮影したり、インターネットで集めた画像をつなぎ合わせたりして用意しています。

それらの資料を参考にしつつ、ベースとなる色から描いて、ほかの色を乗せていって。ひととおり乗せ終わったら、色の濃淡を調整します。油絵具を洗う筆洗液を布に付けて塗ったところをぬぐうとキャンバスの地に戻るので、それで修正しながら塗ったり削ったりを繰り返します。研ぎすましていくような感覚で、絵を描いていて特に好きな時間です。

最後に、人の表情や濃くしたい部分を塗って表情を決めます。今回のテーマの作品は、顔の表情がなかなか決まらなくて、描くのに2時間ずつくらい掛かりました……。見せたいところがしっかり描けていると気持ちよく目に映るので、特に顔は力を入れています。

──どのような画材を使っていますか?

ホルベインとクサカベの油絵具をよく使っています。基本的には平筆で、人の表情を描くときは面相筆。豚毛の平筆はとても硬いのでまっすぐな線が描きやすく、力強い線が出るので気に入っています。

──現在の油絵のスタイルはどのように生みだしましたか?

昔は塗り重ねるタイプのコテコテな油絵で、水彩絵具やポスターカラーも使っていましたね。大学生のときに友だちとアニメーション制作のサークルを作って、背景の描き方をいろいろ勉強しました。スタジオジブリ作品の美術監督でもあった男鹿和雄さんが、ポスターカラーで乾かないうちにどんどん描いているのを知って、「あ、これ油絵でも使えるんじゃないか」と思いついたのがきっかけで、今の技法になりました。

乾かさずに描くメリットとしては、修正がしやすいこと。でも乾いてしまうと進められなくなるので、描き始めたら1日で作業は終わらせます。油は早めに乾くものを使用したり、分量を変えたりと工夫しています。

「あめふり」2018年

「あめふり」2018年


──油絵は好きですか?

描いていて、すごく楽しいです! いろんな技法があるし、私の場合はアクリル絵具で描くときの3倍くらいうまく見えますね(笑)。有機的な線が生まれやすいから、感情を表したような微妙な線が描ける。繊細な感じがいいなと思って使っています。

──普段の制作ではデジタルはあまり使いませんか?

描き終わってから修正したい部分が出たときによく使います。Adobeのツールでは、IllustratorやPhotoshop、InDesign、Premiere、After Effectなど。会社ではグラフィックデザイナーとして働いているので、いろいろ使いますね。自分の作品を動かそうと思って、映像編集のソフトウェアも試しています。今後、アニメーションのお仕事も出来ればいいかなって。

──絵の制作において、最近注力していることはありますか?

ここ1年くらいですが、あまり淡い色になりすぎないよう、コントラストを高めることを意識しています。小声で何かを言っている絵というよりは、観た人の印象にちゃんと残る絵にしたいな、と。「バーミリオン」という赤色の油絵具は蛍光色に見えて面白いのではまっています。

あとは、線画にもチャレンジしたいと思っていて、今とは全然違うタッチを開発しようと試しているところ。「青色の絵を描いている人」というイメージがまだ強くて、青色の作品を超えるものをほかの色でもっと描けるようになりたいです。

「無題」2020年

「無題」2020年
『イラストレーション』No.226(玄光社)のための描きおろし作品

描きたい絵のこと

──ご自身に大きく影響を与えた作品があれば教えてください。

小さなころから本を読むのが大好きで、そのなかでも私の原点ともいえるのが、佐藤多佳子さんの小説『黄色い目の魚』です。海辺の高校で出会う男女が主人公の青春小説。高校1年生のときに読んで以来、30回以上は読み返しているんじゃないでしょうか。

主人公の女の子が好きで、どこか自分に似ています。彼女は絵を描かないけど、絵を観るのがとても好きなんです。私は小説を書かないけど、小説を読むのがすごく好き。そういうところが共通している気がします。

周囲に馴染めない主人公の女の子はイラストレーターの叔父さんだけに心を許していて、その人が描くような“涼しげな絵”を私も描きたい。通り抜けがよくて、無駄な線がないような絵。筆がもたついていたり、不要なものを描くことによって通り抜けの悪さが生まれる気がします。出来るだけ最小限の筆数で、すべてが必要な塗り方なんだな、と感じてもらえるようにしたいですね。

筆者の佐藤さんはきっと、絵を描く人のことをよく調べたうえで物語を書いています。イラストレーションへの理解が深いから、この小説が好きなんです。

「真夜中」2018年

「真夜中」2018年
──将来の夢は何ですか?

好きな小説家の装画を描くことです。視覚表現や世界観に影響を受けた恩田陸さんと、絵を描く仕事を志すきっかけをくれた佐藤多佳子さんの小説で装画を描くのが夢。ミステリー小説が好きなので、まだ手がけていない推理小説の装画も出来ればうれしいです。

アートディレクターの葛西達也さん(ザッツ・オールライト)が手がけるようなお菓子のパッケージにも興味があります。洋菓子ブランド「フランセ」での北澤平祐さんや、チーズスイーツ専門店「ナウオンチーズ」での杉山真依子さんのようなイラストレーションのお仕事。ブランドやデザインのコンセプトにも深く関わりながら、シンボリックな絵を描けたらいいですね。

これからもイラストレーションの仕事を続けていきたいです。絵を描くことは、私にとってずっと楽しいものです。

 

 



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