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2011.03.10
「つくるということ」
※このイベントは終了いたしました、お越しいただいた皆さまありがとうございました
「つくるということ_菊地敦己×都築潤」 順延日程が2011年5月14日(土)に決まりました。
先日3月12日開催予定でした連続対談「つくるということ」は地震の影響のため延期となりました。予約していただいた皆さま、ご迷惑をおかけしてすいません。延期日程につきましては当ブログでもお知らせします。
©1986 未来への遺産過多_上
3月12日(土)18:00より青山ブックセンター本店で菊池敦己さんと対談をします。偶然お互いの企画で対談相手がダブってしまい去年のトークから引き続きとなりますが、どうやら今回は菊地さんがぼくに対していろいろな質問をぶつけ、ぼくの分かりにくい活動を明らかにさせようというのが主旨のようです。これは80年代からのプライベートの作品と仕事で描いているイラストレーションとを弁別し、去年の展覧会でもテーマにしたぼくが抱える「絵」の問題を、対話を通して浮き彫りにしようという試みでもあります。
©1987 ドップラー効果
こう書くと、イラストレーションはアートなのか、的な話題だと思われるので最初に断っておきますが、まず自分はそのように考えるタイプではありません。むしろその逆で、イラストレーションやグラフィックデザインとアートや美術を、聞き手がうんざりするほどしつこく分けて喋るタイプですし、そうした考えを文章にも書いてきました。とにかくその手の普遍性をともなう議論は専門家の皆さんにお任せするとして、今回はきわめて個人的な「絵」についての話になるはずです。以下思いついたことを断片的に…
サリンジャーの表紙にピカソの絵が使われている場合はそれをイラストレーションと呼べるのでしょうか。あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチの展覧会のポスターをデザインする計画が浮上し、イラストはモナ=リザでいきましょうとなった場合、その作画をイラストレーターに発注することはあり得るのでしょうか。またそうした絵がイラストなのか芸術なのか悩むことは、デパートの店内で流れるモーツァルトがBGMなのか芸術なのか悩むのと一緒です。というか悩めません。ではそのデパートの社長のへたな鼻歌を店内のBGMとして使うことはできるでしょうか。これはさっきのモナ=リザと一緒で不可能ではありませんがまずあり得ないでしょう。その絵がイラストレーションなのかどうかという問題と、その絵がそのデザイン計画のイラストレーションとして相応しいかどうかの問題とは、次元が別なので分けて考えないと混乱します。